おじいちゃんの想い出。
この冬、初めて雪が降った今日。
好きだった母方の祖父が亡くなりました。
『90歳までは頑張ろうと思ってる』と皺と同化した目を細めながら、にやりと話していたのにそれより2年も早く逝ってしまった。
年の瀬から入院していて、1月中に退院を予定していたので、家に戻ったら旺介を連れて会いに行こうと思っていた矢先の出来事でした。
良くはないと母が言っていたけど、誰もがこんな早く逝ってしまうとは思っていなかったはず。
別れとはいつやってくるかわからないものですね。
祖父は、昔はコワイおじいちゃん(昔ながらの威厳のある父と言う意味で)だったけど、私が20代を迎えるころにはすっかり丸くなって、可愛いそして変にトンチのきいた楽しい爺様になっていました。
私や妹が行くと、祖母と嬉しそうに同じ昔話を繰り返し話した。
私も妹も『それもう聞いた』なんて可愛くないことは言わないから、今初めて聞いたかのように感嘆し頷いて聞いた。(これも、結構大変なのよ。笑)
現在のNTTを50数年勤めあげ、中卒にも関わらず勤勉な態度をかわれ、60人の部下を率いる課長にまでなったと言うのが自他ともに認める誇りだった祖父。
そんな背景もあってか、どことなく皆から一目置かれる存在だった。
考えてみると、そう言う類の人って私の周りにはあまりいなくて、そんな意味で私もまた一目置いていた。
戦争を体験し、水平として軍艦に乗っていた時代もあった。
帰ってきて結核にかかり大病した時期もあった。
電話局の職員として働いた後は、畑仕事をして、毎日毎日10年日記をつけ、祖母と旅行に行き、同窓会や戦友会にも参加し、楽しい老後だったと思う。
ずいぶん前に、こんな話を祖母がしていた
『おじいさんがさ。「なぁ、トミエ(祖母)。俺たちは幸せだいなぁ。何も不自由することもないし、子供に犯罪者がいる訳でもないし、孫はみんないい子だし。俺たちは幸せだいなぁ」って、おじいさんが言うんだよ。だから私も「あぁそうだいね」って言ったんさ』と祖母は笑っていた。
こんな事を言える年寄りになりたいなぁっと、じんわりと思ったのを覚えている。
こうしてぼんやりと祖父の事を考えると、畑作業をする後姿から、怒られたことから、何度も聞いた昔話からとめどなく色んな事が思い出される。
で、思い出しながら、もういないんだなぁ・・・と思うと、初めて寂しい気持ちになって泣けてくる。
まだあまり実感が無いのです。
おじいちゃん、いつか生死を彷徨った時に見たという『そんとき見た花畑は、そりゃあ・・キレーーーだったぞー!!』って言っていた花畑を渡っていくんだね。
花畑の先には戦友たちが待っていて、懐かしい軍歌を歌うんだよね。
そう考えたら、なんかそれはそれですごく楽しそうだね。安心したよ。
どうか、残されたおばあちゃんをいつも見守ってやってください。
これから一人ぼっちで寂しいと思うから。
私もこれからの人生精一杯生きるよ。
・・・なんだか、今読み返したら爺様自慢みたいな日記になってしまいましたね。
死んだ人は美化されると言うのは間違ってないと思う。
しかし、今日はご勘弁を願いたい。
あ〜ぁ。今日の雪は一生忘れないだろう。
雪のばかやろ〜〜〜〜うっ!!!