最近色々考える

今日の夕飯の時。
献立はお父さんのリクエストで水炊き鍋だったのですが、私があまり食欲がなくて食べずにいたら、旺介が「お母さんは食べないの?」と聞くので、「うん。あんまり食欲がないんだぁ」と答えた時のお話。
旺介がお鍋を指差して突然こう言うのです。
「この中には命が入っているでしょう?」
私はあまりの奇想天外な息子の返答に思わず「へ??」
すると旺介は続けてこう言うのです。
「命は食べると(胸の上で両手を合わせて)ココに戻って来るでしょう。だからちゃんと食べなきゃダメだよ」
内心“ひょえ〜〜〜!!あんたの保育園はスゴイ事教えてくれるね〜〜〜〜〜!!!”と思ってしまったのですが、大人の口でなく4歳児の口から聞くのは何とも感慨深いものがありまして、じわじわと色んな感情が湧き、一人じんわりと感動してしまったのです。


自分の子をこんなにあからさまに褒めるのも恥ずかしいんですが、旺介の語彙力はスゴイ。
4歳にしてそのボキャブラリーなの?!と本当に感心してしまう時が多々ある。
旺介は生まれ持ってのその辺りが突出してるんかなぁ…と思う時もある。そうだといいなぁと思う。
会話としてキャッチボールが出来始めた頃の事だけど、私やお父さんが返した言葉(“○○だから、△△でダメなんだよ〜”“〜〜したら、○○しようね”など)をもう一度自分の口の中でぷちぷちモゴモゴ復唱するという行為が見られて、私はその当時かなり驚いていた。空恐ろしくもあったくらい。。。それは人の言った事を自分で復唱する事で自分の言葉にしていこうという気持ちが表れているようだったから。


話は変わるけど、私は自分の子をどんなふうに育てたいか?と聞かれたら、これだけは間違いなく言えるけど『得する子』に育てたい。
今まで漠然と思っていたけど、多分こう言うことだと最近そう思うようになった。

私は“自分の気持ちを言葉で伝えるのがもの凄くへたくそだ”と思っている。
その点で「自分って損な性格だなぁ」と感じることはよくある。自己プロデュースがびっくりするほど出来ないと最近痛感するし。。。
何でだろう…と考えたときに、それは幼少期の環境にあると思い至った。
我が家には大変世話焼きのおばあちゃんがいたから、私が発言する前に全部先回りして手を回し、結果私は何も言わず(言えず)事が済むと。

自分が思った事を口に出すと言うのは技術だと思う。幼いころからの鍛錬が必要だと思う。
自分が思っている事を文章にするのと、口に出すのでは、一見同じようだけども全然別のテクニック。

(これは余談で持論だけど、女はその辺がちょっとぽ〜っとしてた方がいいと思う。(ま、私はちょっとぽ〜っとしすぎなんですが;)あんまり口が立つ女は可愛げがないし、口が災いすると夫婦関係、嫁姑関係その他諸々よろしくない。
ただ、男子はそうはいかない。時には自分のここは譲れない!と言う意見を主張し、守るものを守らねばならぬシーンもあるだろう。困難を乗り越えて家に金を持って来なくてはならぬ立場に立つことがあるだろう。)

最近、旺介が岳ちゃんとのやり取りの中で自分でどうしていいかわからず、ただグズを言って鼻を鳴らしているだけの時がよくある。
正直、こうしてほしいんだろうな〜というのは親目線でわかるのだけど、私もお父さんも「そんなウダウダしているだけじゃ、お父さんもお母さんもどうしていいのかわかんない。旺介がどうしてほしいのかもわかんないよ。思ってる事をちゃんと言って〜」と促す。
だんだん兄ちゃん意識も出てきたりで、きっとこみ上げる感情が複雑になってきて、自分でも何て言っていいのかわからないんだと思う。ヘタに岳ちゃんに手出すと自分が怒られると言うことも分かってるだろうし(苦笑)
「岳ちゃんにおもちゃで遊んでるの邪魔されてやだったんでしょ?そういう時は岳ちゃんに“今、旺介が遊んでるからちょっと待っててね”って言ってごらん」など気づきと助言を言ってみている。
子どもの気持ちを代弁してやるって私は大事だと思っている。そのことで、子供が“あ。そうか。だから今自分はやな気分なんだ”と気づいたりすることも大切。実際、私が代弁する事で気持ちが落ち着いて冷静になってくれる場面が色々あった。


今は目の前で起こる事を最善と思う方法でがむしゃらに対応するしかない感じだけど、いつか私とお父さんのこのトレーニングが実を結んで旺介の役に立つ日が来るといい。
自分が感じた事、思ったこと、考えた事。を、口に出して誰かに伝えること。
自然に出来る子はきっと“得”だと思う。私が身を持ってそう感じるから。
親が出来ないことを子供に望むのはどうかと思うけど…。旺介と岳ちゃんにはそうなってほしいなぁ。

そんな今日の考え事。


梅雨ですのでこんな一枚。